2010年 09月 11日
友原琢也のことば |
人がおおぜい集まると、必ずといっていいほど「何が正しいのか」が議論される。
「正しくない考え」は名指しで批判されたりする。「正しい」と思われる可能性が、確率的に高い意見が支持される。しかしそこでは「何が好きなのか」はあまり話し合われない。ほんとうは、そのことの方が重要であるのにもかかわらず。
そう、コピーライター(に限らずクリエーティブを仕事にする人)はすべて、「自分は何を好きなのか」「何をやりたいのか」を武器にすることがだいじだと思う。それを武器にして、「正しいこと」を決める"システム"と戦ってほしい。
ただし、「だって、これが好きなんだもん」という戦法が許されるのは、7歳くらいまでの子供か、すでに実績が認められている巨匠だけだ。もしあなたがそのどちらでもないとすれば、なぜその「好き」が重要なのか、なぜ「私のやりたいこと」が結果的には「御社のためになる」のかを説明できなければならない。
— 友原琢也(クリエイティブディレクター)
「正しくない考え」は名指しで批判されたりする。「正しい」と思われる可能性が、確率的に高い意見が支持される。しかしそこでは「何が好きなのか」はあまり話し合われない。ほんとうは、そのことの方が重要であるのにもかかわらず。
そう、コピーライター(に限らずクリエーティブを仕事にする人)はすべて、「自分は何を好きなのか」「何をやりたいのか」を武器にすることがだいじだと思う。それを武器にして、「正しいこと」を決める"システム"と戦ってほしい。
ただし、「だって、これが好きなんだもん」という戦法が許されるのは、7歳くらいまでの子供か、すでに実績が認められている巨匠だけだ。もしあなたがそのどちらでもないとすれば、なぜその「好き」が重要なのか、なぜ「私のやりたいこと」が結果的には「御社のためになる」のかを説明できなければならない。
— 友原琢也(クリエイティブディレクター)
by hiyokoeiji
| 2010-09-11 13:24
| ことば